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とみたいちろうの『TAKE 1』、うちにあるのはぼろぼろの見本盤でライナーも紛失してしまっていたから、どこかにきれいな中古盤がないものか、と探してみた。こういうときには、インターネットは有効であることも少なくはない。もっとも、珍しいものの場合は、最後の最後は運や縁がものを言うわけだけれど。
で、検索してみて、驚きました。いや、驚いた。何だよ、CDで再発になっているではないか。そんなのってありなのかね。何だか、狐につままれたような心持ちである。早速、注文しようと思ったけれど、ふと冷静に考えると、これってちょっとおかしいよね。高部伸夫が著作権者の一人であるのなら、再発に当たって何らかのコンタクトがあって然るべきではなかろうか。サンプルの一枚ぐらい送られてきていてもおかしくない。というか、印税だって発生しているだろうに。
調べてみたら、エレックレコードがいつの間にか復活しており、VAPから発売という流れのよう。これって、どこに連絡すればいいのだろうか。孰れにしても、年明けだなあ。少なからず、面倒だなという気はするものの、考えてみれば、面白いレコードが埋もれてしまうのは避けられたわけで、そういう意味では大変結構なことであります。
それにしても、再生しても相変わらずもやもやしているところが、何ともエレックだね、なんて言っては失礼だろうか。
先日エレックレコードのことを少し書いた。あれこれと思い出すこともあり、とみたいちろうの『TAKE 1』を引っ張り出して聴いてみる。ぼろぼろの見本盤。
小学生だった私は、エレックのミュージシャンの中では、泉谷しげると古井戸がお気に入り。拓郎も悪くないけどね、などという生意気な感想を持っていたのだけれど、聴いた回数が最も多いのは間違いなく、この『TAKE 1』である。今の耳で聴いてみても、メロディーにも声にも艶があり、文句なく恰好いい。いや、いいね。
初めて聴いた時から、随分はまりこんで、なぜか階段の踊り場に設置されていた、父の自作の黒くてやたらにでかいプレイヤーでかけまくったもの。中でも一曲目の「道」という少々大仰なやつがすごくいい。気取った歌詞でね。晩飯の折か何かに、そんな話題になった。すると、信夫氏、「あの歌詞はお父さんが書いたんだよ」と教えてくれた。え、そうなの。そりゃ、たまげた。そうなのか。この人は難しい本を読み難しいことを書いてばかりだと思っていたが、こんな歌詞を書く人だったのか、と。それはもう途轍もない衝撃だったのであります。びっくらしたなあ、もう。
あんなに良いアルバムだったにもかかわらず、『TAKE 1』は売れなかったのかなあ。その後、中古盤屋なんぞでもみかけたことがなく、誰かとの話題に出てきたこともない。唯一、見かけた記憶があるのは荻窪の『Heaven』でだったな。段ボールの中に無造作に放り込まれた状態で。
先日、扇好師匠の独演会に行ってきた。
近頃の私といえば、小猫の世話に拘束されること甚だしく、滅多に外出などできぬ身の上。然りながら、家族間でスケジュール調整を施し、では、ちび猫を宜しくお願い致す、と家人に委ねて表へ。北風寒し。
いや、出かけた甲斐がありました。まことに結構な催物であったと思う。扇好師匠のみならず、若いわか馬、小きちのお二方、マジックのマギー隆司も、みんな良かった。こんなに揃いも揃って楽しめる会というのも珍しいのではないか。いや、楽しんだ。結構毛だらけ。
ところが、翌朝になって、ちょっとあまりにも整いすぎていたのではないかねえ、などという妙な感想がむくむくと身内に湧き上がった。もう少しでこぼこがあっても良かったんじゃないかな、なんてね。いや、事実、とても楽しかったのは楽しかったのだけれども、と。
楽しんだくせに、こんな何とも身勝手なことをほざいている私です。
ミドリが出演した件の番組を見てみた。
殆ど認知されていない場での出会い。観客も演者もともに戸惑っている様子がありあり。現場にいたわけでもないのに見てきたようなことをおっしゃいますなと言われれば、返す言葉もないのだが。
ベースがサポートだった都合上少なからずばたばた。客席で暴れた後藤まりこ、リズムから零れ落ち。
地上波の枠では収まるわけもなく、拙さばかりが前に出ていたようにも思うものの、何だかんだ言って、最後には聴衆を巻き込むことに成功していたのではないかと見受けられたミドリ。どこへ行くのか。どこまで行くのか。
それにしても、出だし直後の、切れ気味なのか半べそなのか、判然としないような後藤まりこの姿は印象的だ。暫くは消えそうにない